miteranの日記

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【考察】おねショタ悪夢SF「エヴォリューション」を見てきた【ネタバレ】

 

どうもお久しぶりですみてらんです。

散々ブログ放置している間にもコメント頂いたり初のIDコールがついたりしてめちゃ喜びみてらんです。


 

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映画『エヴォリューション』公式サイト

 

親と暮らす10歳の二コラ。その島ではすべての少年が奇妙な医療行為の対象となっている。「なにかがおかしい」と異変に気付き始めた二コラは、夜半に出かける母親の後をつける。そこで母親がほかの女性たちと海辺でする「ある行為」を目撃し、秘密を探ろうとしたのが悪夢の始まりだった。“エヴォリューション(進化)”とは何なのか...?

 

途中までぼんやり夢うつつで見ていましたが、ずっとばっちり起きていてもストーリーへの理解度は変わらなかったと思います。そんな感じ。

 

 

私が某アプリで見た感想の中に「綺麗なら内容がなくていいと思ったら大間違い」みたいなものがあったのですけど、それは違うなって思って。

個人の感想だと思いますが私はこの映画きれいとか美しいとか思わなくて、ひたすらなんだかグロテスクだなぁと感じていました。静謐さとか神々しさはあったけどね。

この映画は美しさや少年(おねショタ?笑)へのフェティシズムを描きたかったわけではなくて、そのおぞましさでこっちを屈服させようとする力を感じました。

で、内容がないわけでもなくて、メタファーまみれなだけなんだよな。

 

 

私の解釈したストーリー(ネタバレ)

ステラを始めとする女たちは背中に吸盤があり人間ではない(エヴォリューションした存在?)(妊娠できない=退化?)

彼女たちは少年を育て、妊娠させて、新たな命の受容器・保育器としての役目を少年に課している。

そのために変な薬、手術、施設などを用いて医療行為を施している。

妊娠できる少年たちもまた人間が進化した存在であると言える。

しかし失敗するともれなく少年たちは死んだり殺されたりする(?)(ヴィクトルはどうなったんだっけ?)

観覧車の絵を描いていたことから、ニコラには島での奇妙な生活以前の記憶がかすかにあり、生まれた時から島にいたわけじゃないのだろう。

ステラはニコラの本当の母親ではないけれど、ニコラへの母性が芽生えてしまい、ニコラを施設から逃がして島の恐怖から解放するため殺そうとする(?)

しかし愛情を抱いたが故に殺すこともできずニコラを元の世界へ戻す(エンディング)。

 

私はこんな話なのかなぁと思いました。

ニコラが最後現代っぽいところへ行けたのはステラの意思によるのかは意見が分かれそうなところだと思います。

 

 

 搾取される女の復讐 

私この映画見て真っ先に、作り手の抱くかつて少年だった男たちへの悪意を感じました。

特にヴィクトルやニコラが水槽に沈められるシーンで「これレイプ犯に見せてやりたいな」って思った。どんな啓蒙ビデオより聖書より効くと思う。

妊娠って怖いんですよ。社会的、身体的リスクをとることが怖い。

そしてどう頑張ってもそれを引き受けざるを得ないのは女です。

レイプされても妊娠はするし、好きな人の子供を身籠っても、それを知った相手が姿をくらまさない保証はない。恐ろしいことです。

そういう妊娠を、搾取を、恐怖を、男に与えてやりたい。

恐怖を味わわずに性的快楽ばかり得て、あまつさえそれを与える女性を蔑視しさえする、そういう傲慢な男に、思い知らせてやりたい。

怖いだろう。気持ち悪いだろう。ざまあみろ。

得体の知れない医療行為を描いたのは、こう言った女性の持つ憎しみみたいなものを表現したかったんじゃないかと思うんです。

 

この映画の根底ってフェミニズム思想がある気がします。

なぜ「女性」と「少年」なのか。

力では勝てない男を、女が支配できる関係だからです。

もしこれが男が女、ましてや少女を搾取する形をとったSFだとしたら、あまりに生々しすぎる。これは決して男が女を搾取するような痛ましさとか、ロリショタ的なフェチを描きたかった訳じゃないと思ってます。

 

 

母性とは

私これおねショタらしいぞ?って見に行ったんですけど(断っておくが別にそういう嗜好はない)、思ったより少年の年齢が高いように見えた。

ニコラは完全に子供じゃなくて、大人になる手前の(二次性徴前の)ギリギリの男って感じにしたかったのかなぁと。

 

少年や子供という存在は、庇護されるべき存在であって、ニコラたちはその庇護を受けるべき範囲内にまだいる。

少年たちと一緒にいて庇護する女たちは当然母性を持っていなければならなくて、「ママ」であるなら母性を持っているはずという先入観があるんでけど、島の女たちにはそれがないんだよね。

そこから生じる違和感が気味の悪さになってる。

 

いくらよくわからない変な島の話だからってあんなまずそうなグロいご飯食べさせるなんて母性を持っていれば到底できないじゃんって感じる。愛を注ぐ庇護すべき存在にはフツーそんなことしないじゃんって。だから、平気でグロご飯食べさす女たちのことが怖い。

 

 

女たちの夜の浜辺でのアレ

きっも!目が覚めましたね

儀式的な意味があるのかとかは多分私には考えてもわかんないんですけど、人ならざるものの気持ち悪さとそれ目撃した恐怖と女たちへの不信感を煽るには強烈すぎるほどだね。

なんかすごいあの時ばかりは鉄仮面みたいな女たちが愛欲に狂ってる感じ、怖かった。

厳格な母親像が、母親も一人の女であって性欲もあるということを理解した時に崩れる気持ち悪さみたいのがあった。そういうモヤモヤが、ニコラが思春期差し掛かりぐらいの年齢の少年であることによって引き立つなぁって。

 

 

ラストシーン

みてる時は当然ここまで明確に考えながら見ているわけじゃないのでふわっと、水の中でステラとニコラが体を重ねあってもがくシーンはセックスのメタファーなのかと思ってました。

でもステラが母性に目覚めてニコラを元の世界に送り返したと考えると、あそこは愛情の目覚めくらいに捉えたほうがいいんだろうか。

もしセックスだとしたら、かりそめの母子とはいえ保護者のステラとニコラがインセストタブーを犯したことによって、また大人の女と少年というインモラルな関係が成り立ってしまったことによって引き裂かれてニコラだけ違う世界に行ったとか?

うーんストーリーのことやっぱわかんないけどまあいいやって感じです。

 

ラストシーンは希望派です。

寒々しくて冷たい寒色の島から、白熱灯みたいな色の暖かそうなオレンジがかった夜景。

わけがわからない 不信感いっぱいの世界から解放されて、少年が少年としての受けるべき愛情を受けられる世界への帰還だよ〜…って思いましたね。

視聴者側としても島以外に世界が存在してることを最後の最後に知らされてホッとするというか、なんとも言えない安心感がありましたね。

汗びっしょりでスリリングな悪夢から目覚めた後の、ドッと疲れて安心するも、目が覚めたら覚めたで続きを見たかったような名残惜しくて切ない気持ちになった。

 

絶望派はなんでだろ??医療行為施されてるエヴォリューションの成れの果てのニコラが現代世界っぽいところで受けるであろう扱いへの嘆き?

この世界では寄る辺のないニコラがかわいそう?一瞬でもステラの優しさに触れたのに来てしまった分かれへの悲しみ?

 

 

 

見てきたけどそれちげーわ(怒)とかパンフにはそんなこと書いてねーわ(怒)とかあったら教えてくださると喜びます。

見てる時より見終わってからが楽しい映画だったなあ。

あとこれ完全に蛇足だと思うんですけど言わせてください、エヴォリューション、いうほど映像美か???ジメジメしてなんか気持ち悪かった